到着日からの悲劇の3日間【ワーキングホリデー】

カンタス飛行機オーストラリアの生活

旅立ちの日


出発の日が近づいてくる中、私は英語の準備を整えつつ、1年間の海外生活に必要なものを調べては調達することを繰り返していました。


海外旅行保険、トラベラーズチェック、電子辞書の購入など、その他様々な物理的準備を整え、英語の準備もできる限り終え、ついに旅立ちの日を迎えました。


2000年5月、私は初めてオーストラリアへ向かいました。


それは同時に初めて実家を離れて暮らすという、本当の意味で自立の一歩を踏んだ時でもありました。


『自立』こそが親孝行だと思うので、24歳と少し遅めでしたが、家を出ることができて良かったと思っています。


しかし、記念すべき旅立ちの日には、ワクワクはすっかり姿をひそめ、怖れと不安しかありませんでした。

Mako
Mako

完全に怖気づいていたと思います(笑)

到着の日


夜に飛行機に乗って次の日の朝には、無事にシドニーの空港に到着しました。


いきなり何もかもが英語で書かれていて(←当たり前)、戸惑いレベルは予想を遥かに超えていたと思います。


空港の公衆電話から日本へ電話をかけられたかどうかすらあまり覚えていません(笑)


Sydney Central YHAへ直行し、その後はすぐに現地サポートの会社に行きました。


現地サポートの会社では、オリエンテーションなるものを受け、その後当日に行うべきTFN(タックスファイルナンバー)の取得や銀行口座の開設をしました。


やらなければならないことを終えた後には、ハーバーブリッジやオペラハウスが見渡せる場所に連れて行ってくれたのを覚えています。


親切にしていただいたにもかかわらず、不安に押しつぶされそうになっていた私は、その美しい景色を楽しむ余裕がその時はまだありませんでした。


到着日のバタバタが終了した後は、ホテルで倒れこむように眠ったと思います。


………………


その後、最悪なことにそれまでの不安とストレスから、高熱が出てしまいました。


あまりにも疲れ果てていて免疫や抵抗力が下がり、飛行機の中で悪い風邪をもらってしまったのでしょう。


6人部屋くらいのドミトリーだったのですが、誰とも会話をすることもなく、ただひたすらベッドで汗をかきながら寝ていました。


何も食べれないし「このままではまずい…。何か飲まなくては!」と思い、隣のコンビニにフラフラしながら行ったのを今でも覚えています。


水とオレンジジュースだけを買って、それらを枕の横に置いて、水分補給だけしながら2~3日、ひたすら眠り続けました。


ドミトリーで同室だった若い女性達は、たくさん出かけてシドニー滞在を楽しんでいる様子でした。


1泊目から昼間もずっと寝ているだけの私を不思議に思ったことでしょう…。


すぐ隣のビルの地下にはクラブもあって、いろいろな国から来た旅人たちがここで出会って友達になり、楽しく過ごしていたようです。


高熱にうなされそれどころではなかったですが、元気だったとしても英語がまだ全然話せないので、そのクラブに一人で入る勇気なんてこれっぽっちもなかったと思います(笑)


そんなわけで到着してからの3日間はとにかく悲惨な状況でした。


あまりにも孤独だったし体調が悪過ぎました。


まだ来たばかりだというのに、もうすでに日本へ帰りたいとすら思っていました。


誰も知らない国で、なんでわざわざこんなに辛い思いをしているんだ? と思うと、押しつぶされそうで、メソメソと泣いていたと思います(笑)

ホテルを出る日


数日後、徐々に回復してきた私はやっとホテルの中や周辺を歩いて見て回れるようになりました。


YHA滞在期間の半分くらいを酷い風邪をひいて無駄にした私でしたが、ホテルの掲示板を見ていた時に、同じ年位の日本人の女性と出会うことができました。


ずっと寝ていて寂しかったこともあり、とにかくたくさん話しました(笑)


彼女もオーストラリアに来てから日本人と話すのは初めてだったようで、お互いにたくさん励まし合うことができました。


彼女はこのホテルを出た後の行き先は、オージーの家にホームステイをすることがすでに決まっていました。


彼女といろいろ話して励まし合ったことで、寝込んで思考停止中だった私もホテルを出た後のことを考えるようになりました。


ユースホステルからシェアハウス入居へ!】へつづく。

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